2016年2月9日火曜日

直感(心の声)と反応(心の癖)


長野県の雪山へいきました。
市内の駅ですでにこの透明感



透き通る空気と


朝焼けに染まるロッジ





息を吸うと


気管支に入って、内臓にはいって


手と足の指から出て行く。


電線のない場所で


テレビやネット、携帯電話、


人との関係や今日の段取り、


頭の中で常に動いているものを


止める。


思考停止にする


マインドを止める



そんな時、私は


第6感


心の声が



ようやくでてきます。



ようやくです。


自分はどうしたいのか


ほんとはどう思っているのか


そこまでしてやっと出てきます。


その声に従ったら



世界がひっくりかえりました


常識だった事が、それちがうんだ


って


ダメ、禁止していた事が


それ、いいんだ!私もやっていいんだ!って


真逆。さかさま。あべこべ。


になっちゃった。




自分の感を信じている人


自分の感を信じていない人


気持ちにも感にも種類があります。


その気持ち、感、ホントですか?


自分を信じるな、自分を信じるんだ!




今日はそんなハナシのカナコです。





結論から言うと


私は普段の日常生活からの


私の気持ち、たるものは


たいして信じていません。


私の場合でいうと、


やたら相手を肯定したり


違う意見なのにだまってニコニコ頷いてその場を過ごしたり



逆に、大事なメールは後でじっくり返信したくて後回しにしてみたり



これ、私の反応パターンです。


心の癖なんです。


とにかく、嫌われないように


相手に好いてもらえるように




違う意見だと嫌われる



と思い込んでいるのです。勝手に。


あ、




旦那にはバッコバコ言う。


これでもかってくらいこう思う


って言う。


でも外では


なるべく自分の意見よりも


相手に合わせて


一緒の気持ちだったら


一緒一緒!って盛り上がる。



後出しじゃんけんみたいでちょっとズルい。


そう。私はズルイ。


根性なし。



そうしないと嫌われる


そうしないと、まわりが困る


って


勝手に思い込んどる訳です。




そんな事、だれも望んどらんよね。



表裏がチラホラ見える方がキモいよね。


本心言う勇気がないから、


微妙な会話しか成り立たない。


公園のママ友か。


そのくせ


誰かと繋がりたいと思ってる。


その癖、ええ加減、終わりにしなはれ。






そんな自分だけの価値観


信じている事が



自分のルールが

もしくは

先祖代々教えられた価値観や道徳が


ひとりずつ


個人個人に


山ほどあります。


他の例でいうと


お金を稼ぐ人は汚い
断ってはいけない
新生児は抱き癖をつけてはいけない
調子にのってはいけない
いつも笑顔でないといけない
障害のある人はかわいそう
ポジティブでないといけない
ひとりっ子はかわいそう

とか

さらに奥へいくと

自分だけ幸せになってはいけない
不安を持ってなくてはいけない

と、よくよくよくよく考えると


んなわけねーだろがっ


とびっくりする設定が出てきます。


人の数カケル倍率、さらに倍、
くらい種類があります。

時代背景や、教育でできたものも多く


ホント、この設定だけは奥が深い。


自分では気づきにくいからやっかい。


新生児抱かずにどうするっ!ってね。


その先祖代々のルールと自分の心が違う時、


エラーとして


なんかつかれた


とか


ストレス


というサインで知らせてきます。

なので


定期的に情報を手放して



思考をとめて


頭の中を空にできる僻地で


普段、溜め込んでいる、それってホント?を

整理する時間が必要。




心の声が出てくるのを待つのが好き。



自分はホントはどうしたいのか。



自分はホントはどう思っているのか。




私は私に会いに僻地へいくんだなと最近は思います。





人には、人それぞれシステムがあります。


その人を形成するシステムができているのです。


その人が信じているシステムが作動して、目の前の事実は作られていきます。


このシステムにはカラクリがあって


とても簡単に出来てしまいます。


2.3回繰り返せば


すでにパターンとなり


その設定をかければ


根強く、とても根強く、


根を張って自分を支配していきます。


自分の知らないところで。





勝手にやってんじゃねーよ!




許可をとれ許可を。





って言いたいよね。



直感(心の声)と 反応(心の癖)



似たような感触ですが違うのです。


全然違うのです。




直感(心の声)だ!と思う事が



自分の反応(心の癖)だったという事が



実に多いのです。




でもこれって、


自分の中では常識になりすぎて


当たり前すぎて


自分のファンデーションになりすぎて



疑ってもみないので


まさか自分の信じてきた事が


え?嘘なの?


ってうっすら感じても


常識が変わるなんて


ちょっとやそっとで



受け入れてたまるか!



思春期か!


くらい


最初は


激しく抵抗してしまう事アリ。



そして



大人になればなる程



このシステム(価値観)はロックされていく




このロックを外した所に



ホントの自分のキモチや


夢が


今か今かと


待っている


そう、実にたくさんのシステムで(価値観)で自分を縛っているのです。



夢さえも縛られているのです。


自分で制限かけているのです。


こんな夢は見てはいけないと。


でもそれってほんと?





「見てきた事や


    聞いた事


    今まで覚えた全部



     デタラメだったら面白い



    そんな気持ち分かるでしょ」


ってヒロトも歌ってるよ。



自分と向き合うなんて



めんどくせーからやらない


という選択肢もあります。


それもあり。


しかし


なんかモヤモヤするとか


まだまだ自分に納得いかない


やってもやっても、満足や欲しい結果がでない


という人は


この自分のシステムを


疑ってみる


まさかの

まさかの

まさかの


疑ってみる。


これが必要です。



だってね、


このシステムは自分の大事な人が


教えてくれたものばかりだから



過去に失敗した自分が(失敗したと思い込んだだけ)


自分で積み上げてきた大切なものだから




親、先輩、師匠、めちゃくちゃ世話になった人、恩がある人、



そんな人の教えやアドバイスを聞かないなんて


何より、自分を信じてやってきた訳だから



それを裏切るなんて


ありえなくて苦しいわけです



自分のシステム(価値観)が




私達の身体中



ココロに


巻きついているのです。



心が思考とシステムでぐるぐると


焼き豚みたいに


巻きついているのです。



カテゴリーに分けると




心、魂




に対して





システム(価値観)、反応パターン(心と思考の癖)




という感じでしょうか。




心は開放されたくてしょうがない。




メンタル鍛えるとは、自分と向き合うとは



このブロックを外す勇気をもつ



という事だと私は思っている。







私のブログで扱う題材はもしかしたら



少し重いかもしれない。



でも、このブロックをひとつひとつ外していかないと


命というものが見えてこない。


生きるという事が見えてこない。



命というものを真ん中において


生きるというテーマを


ダンス屋の切り口でコンサルしていくのが


うちのお仕事なわけです。










直感(心の声)と反応(心の癖)


そして自分の価値観、設定、


一度疑ってみる


心の癖ではなく


心の声、心からくる直感(サイン)をキャッチする


それが


自分を信じる



って事じゃないかと



私はおもっている。



私がやってる発達サポートクラス


ここでは


メンタルブロック外し


たるもの



ほとんど必要ありません。



そもそもブロックが必要ない事を



うちのかわい子ちゃんは知っている。




ホントの自分でいた方が



パフォーマンス力があがる



地球はまわる事を



知っている。



気がついちゃいなYO



ひっくりかえりなYO




ビッグスケールの夢をもってる自分を



むかえに行ってあげて。


















あ、君たち





カテゴリーがおかしいよ









































2016年2月1日月曜日

自分の取り扱い説明書

コイツほんま分かってないわ
コイツほんま嚙み合わへんわ
アイツ言うてもほんま無駄
アイツいつか分かる時がくやろ
ハラタツーーーー
ハラタツ
顔は涼しくハラワタ煮えくりかえる



対人関係でこんな事、時々あるんじゃないかと思います。



今日はこんな話を。

私は来月シジューになるけど、自分で自分の事を分かっているかといわれるとビミョー。
分かっているようで分かっていない、自分が思う自分と人からみた自分って違ったりします。
全然違ったりします。
1枚ず皮をむいていくと自分が自分自身を勘違いしている事、実にたくさんあるんです。
みかんの皮をむいたら、中身バナナやった。みたいな。
よう入ってたな、みたいな。


パパのハイボールをコップに半分もらったら
二日酔いで頭割れそう
カナコです。




最近流行の前者、後者。
流行ってる場所はうちの近所だけ。



前者と後者
名前に特に意味はありません。何でもよいのです。
AとB。太陽と月。赤と青。なんでも。



人間の種類、ベース、ファンデーションとなるものを大きくわけたら、
という話です。
タイプ別とかって苦手〜、、、ってめんどくさい声がきこえそう。
まあええやん。



このふざけた分類をする中でホントの自分を探しにいくというハナシ。
注)これを使って、自分のベースを知っていくという方法の話なので、考え方や、価値観、道徳の話ではありません。
2つにわかれるので、人種よりも、血液型よりも、スケールは広い。深い。
とりあえず、前者、後者、で。

自分がどちらか、ということは一旦、置いてみて欲しい。
第三者として読み進めていくうちに、自分の好みが出できます。
前者になりたい人、後者になりたい人。
自分の願望が客観的に見える様になると
自分を見つけやすくなる。

ポイントは客観視です。


・前者の才能って、多くの事がバランスよくなぜかできてしまう。
・後者の才能って、一つの事になぜかずば抜けた力がある。




どっちも能力者。
種類が違う。




・前者って、物事や人の話の全体図の把握ができてしまう。分かっちゃうんっすよね。そういう脳内構造。
・後者って、物事や人の話のポイントにフォーカスする。自分のキーワードにフォーカスしちゃうんですよね。そういう脳内構造。



ここから一段掘り下げると



・前者の人って、話の全体図がわかるので、さらに細かい理論、理屈、ディテールにこだわった話ができちゃう。
仕事とか同時に出来るし、本も並行読みとかしてもこんがらない。

・後者の人って、話の全体図ってイマイチ分掴まなくても自分のピンポイントのキーワードをひらって理解していくので、キーワード重視の好みのポイントフォーカスでなんとなくで大きく捉えちゃう。


なので
すでに話の全体図、という理解がここで違ってくる。
注)この時点で、え、ややこし、理解不能となるとおそらく後者。




入り組んだ話になると、面倒くさくなった時点で思考がフリーズするのも後者です。
ややこしい事、好きじゃないの。はっきり言って、分からないの。でも分からないって言わない。シンプルが好き。グッとくる。自分のキーワードが大好き。あとはあんま興味ない。
なので、多くの人や情報があっても自分の世界に入りやすい。集中や瞑想などは得意。
カメラでいうと焦点レンズ。

逆に


前者はフリーズしない。あえてフリーズする事はできます。自分の引き出しと想像や可能性をイメージしながら自分に取り込み
イキなジョークを交えたりしながら、相手に新しい提案までもできてしまう。
引き出しの中はおもちゃ箱のごとく、あれとアレでこんな答え。いろんなジャンルに対応可能。
頭は常に動いているので応用や多くのの事実が見える。頭の中が動いている。
カメラでいうと広角レンズ。


構造が違う。


この構造の違うファンデーションをもつ人達が
人生経験をそれぞれに積み重ね、オリジナリティー満載になった頃
出会う。
先輩後輩として
師匠と弟子として
恋人として
兄妹として
夫婦として
親子として
相棒として
チーム員として
対人から複数になり
複数から個人にもどり


出くわすアクションで、それぞれに学んでいく。


前者と後者が入り組んだ世界で
何かしらのトラブルが起こる時



前者は心の中でこう思う。
話聞いてんのか。
なんやねんコイツ!
後者は心の中でこう思う。
機嫌わる…
なんやねんコイツ!



そして、前者は自分の持っている最大限の我慢と優しさでこういいます。
「まあえ え わ」
そして、後者は自分の持ってる最大限の我慢と優しさでこういいます。
「何か食べる?」



お互い
的外れにも程がある切り口で攻めてくる。
とにかく噛み合わない
夫婦や身内なら笑えるけど
これが、上司や先輩、大事な顧客だったり
お金なんかが絡んだら、ストレスでしかない。


それでも、なんとかして分かり合いたいと望んで傷つく
もしくは、もうええわ、って強がって孤独を選んで傷つく


どちらも心の底で自分を責めるのです。



この前者後者の定義は
心を扱う専門家達が今研究し続けて
構造にまで辿りついてしまったものです。
スタップ細胞くらいミラクルな研究だと
私は思っていて
この応用で多くの人が人間関係にとらわれず、
自分を開花出来るようになります。
本気で自分を開花してもいい時代になります。


前者後者の質感を知って
イキに扱うと
対人関係は笑いで見れるし
自分も生きやすくなる。
絶対にやってはいけないのは
前者後者を優劣で捉えてしまう事。
コンプレックスが深い人程
この定義を優劣で捉えてしまう。


本来なら、この天然を活かしてブラッシュアップをすると
どんどんその能力ってあがっていく。
自分のスペックを活かせば活かすほど、どうなるかというと
ミラクルが起きるようになっているしくみ。



そのミラクルって、、、
また今度( ̄▽ ̄)
早く知りたい人は
バシャールに聞いてちょうだい。
あ、バシャールって、宇宙人やしきをつけてな。





前者、後者のスペックに話を戻すと
本来、そのスペックで生きていけるのに
本来、そのスペックがごっつ魅力的なのに



経験や年齢、立場、性別、肩書き、職業、資格、
いろんなものを貼り付けて
わざわざ、わかりにくくするのです。
わざわざ。自分で。




なぜかというと、
自身のスペックに気づかず、(何故って自分にとっては当たり前すぎて)
違うスペックに対して、憧れて、欲しくて、さらにそれが「自分にはない」と
フォーカスを強めてしまう。


前者は突き抜けた能力が自分にないからと後者になりたがり努力する。
後者はマルチに出来ない自分をダメとして前者になりたがり努力をする。


これが心の奥の奥の奥の方にある「コンプレックス」の正体ではないかと思います。
さらに、バランスよく、という教育システムが追い打ちをかけるように、天然能力を塞ぎにかかるのです。
社会人になる頃には完全にロックされる。このロックが外れないと本当の自分に会いに行けない。

ダンスに置き換えると
前者のブラッシュアップの仕方と
後者のブラッシュアップの仕方は違う

あ、後者って
話の置き換えとか応用って
得意じゃない

あ、前者って
本質は同じ違う事
とか見抜ける

このコンプレックスの誕生や生活の「しおり」はまた別のシリーズで。

戻りまして


私の持っていないスペックは
あの人にある。



あの人にないスペックは
私にある。


優しい地球の仕組み



自分が自分を生きてこそ
周りも輝かせる事が出来る
自分を生きてさえいれば
勝手にほっといても
周りは輝く



お願いやから自分を生きてくださいな。
ってなる仕組みに地球はなっている。



みんな手を取り合って、とか
曖昧な事ではもう納得しない。


具体的にどーすんねん。
って気ずいてしまう時代に入ってしまった。


あるエリアへいくと突然その仕組みが分かるエリアが存在する。


うちではそんな発信も
ダンスを通じて
心を触りながら
していこうと思います。



あなたのためにわたしはいる。
わたしのためにあなたがいる。



自分が自分を生きるほうが
世界はまわる。








地球にフィットする。







前者後者トレーナー
地球のしくみ