2016年2月1日月曜日

自分の取り扱い説明書

コイツほんま分かってないわ
コイツほんま嚙み合わへんわ
アイツ言うてもほんま無駄
アイツいつか分かる時がくやろ
ハラタツーーーー
ハラタツ
顔は涼しくハラワタ煮えくりかえる



対人関係でこんな事、時々あるんじゃないかと思います。



今日はこんな話を。

私は来月シジューになるけど、自分で自分の事を分かっているかといわれるとビミョー。
分かっているようで分かっていない、自分が思う自分と人からみた自分って違ったりします。
全然違ったりします。
1枚ず皮をむいていくと自分が自分自身を勘違いしている事、実にたくさんあるんです。
みかんの皮をむいたら、中身バナナやった。みたいな。
よう入ってたな、みたいな。


パパのハイボールをコップに半分もらったら
二日酔いで頭割れそう
カナコです。




最近流行の前者、後者。
流行ってる場所はうちの近所だけ。



前者と後者
名前に特に意味はありません。何でもよいのです。
AとB。太陽と月。赤と青。なんでも。



人間の種類、ベース、ファンデーションとなるものを大きくわけたら、
という話です。
タイプ別とかって苦手〜、、、ってめんどくさい声がきこえそう。
まあええやん。



このふざけた分類をする中でホントの自分を探しにいくというハナシ。
注)これを使って、自分のベースを知っていくという方法の話なので、考え方や、価値観、道徳の話ではありません。
2つにわかれるので、人種よりも、血液型よりも、スケールは広い。深い。
とりあえず、前者、後者、で。

自分がどちらか、ということは一旦、置いてみて欲しい。
第三者として読み進めていくうちに、自分の好みが出できます。
前者になりたい人、後者になりたい人。
自分の願望が客観的に見える様になると
自分を見つけやすくなる。

ポイントは客観視です。


・前者の才能って、多くの事がバランスよくなぜかできてしまう。
・後者の才能って、一つの事になぜかずば抜けた力がある。




どっちも能力者。
種類が違う。




・前者って、物事や人の話の全体図の把握ができてしまう。分かっちゃうんっすよね。そういう脳内構造。
・後者って、物事や人の話のポイントにフォーカスする。自分のキーワードにフォーカスしちゃうんですよね。そういう脳内構造。



ここから一段掘り下げると



・前者の人って、話の全体図がわかるので、さらに細かい理論、理屈、ディテールにこだわった話ができちゃう。
仕事とか同時に出来るし、本も並行読みとかしてもこんがらない。

・後者の人って、話の全体図ってイマイチ分掴まなくても自分のピンポイントのキーワードをひらって理解していくので、キーワード重視の好みのポイントフォーカスでなんとなくで大きく捉えちゃう。


なので
すでに話の全体図、という理解がここで違ってくる。
注)この時点で、え、ややこし、理解不能となるとおそらく後者。




入り組んだ話になると、面倒くさくなった時点で思考がフリーズするのも後者です。
ややこしい事、好きじゃないの。はっきり言って、分からないの。でも分からないって言わない。シンプルが好き。グッとくる。自分のキーワードが大好き。あとはあんま興味ない。
なので、多くの人や情報があっても自分の世界に入りやすい。集中や瞑想などは得意。
カメラでいうと焦点レンズ。

逆に


前者はフリーズしない。あえてフリーズする事はできます。自分の引き出しと想像や可能性をイメージしながら自分に取り込み
イキなジョークを交えたりしながら、相手に新しい提案までもできてしまう。
引き出しの中はおもちゃ箱のごとく、あれとアレでこんな答え。いろんなジャンルに対応可能。
頭は常に動いているので応用や多くのの事実が見える。頭の中が動いている。
カメラでいうと広角レンズ。


構造が違う。


この構造の違うファンデーションをもつ人達が
人生経験をそれぞれに積み重ね、オリジナリティー満載になった頃
出会う。
先輩後輩として
師匠と弟子として
恋人として
兄妹として
夫婦として
親子として
相棒として
チーム員として
対人から複数になり
複数から個人にもどり


出くわすアクションで、それぞれに学んでいく。


前者と後者が入り組んだ世界で
何かしらのトラブルが起こる時



前者は心の中でこう思う。
話聞いてんのか。
なんやねんコイツ!
後者は心の中でこう思う。
機嫌わる…
なんやねんコイツ!



そして、前者は自分の持っている最大限の我慢と優しさでこういいます。
「まあえ え わ」
そして、後者は自分の持ってる最大限の我慢と優しさでこういいます。
「何か食べる?」



お互い
的外れにも程がある切り口で攻めてくる。
とにかく噛み合わない
夫婦や身内なら笑えるけど
これが、上司や先輩、大事な顧客だったり
お金なんかが絡んだら、ストレスでしかない。


それでも、なんとかして分かり合いたいと望んで傷つく
もしくは、もうええわ、って強がって孤独を選んで傷つく


どちらも心の底で自分を責めるのです。



この前者後者の定義は
心を扱う専門家達が今研究し続けて
構造にまで辿りついてしまったものです。
スタップ細胞くらいミラクルな研究だと
私は思っていて
この応用で多くの人が人間関係にとらわれず、
自分を開花出来るようになります。
本気で自分を開花してもいい時代になります。


前者後者の質感を知って
イキに扱うと
対人関係は笑いで見れるし
自分も生きやすくなる。
絶対にやってはいけないのは
前者後者を優劣で捉えてしまう事。
コンプレックスが深い人程
この定義を優劣で捉えてしまう。


本来なら、この天然を活かしてブラッシュアップをすると
どんどんその能力ってあがっていく。
自分のスペックを活かせば活かすほど、どうなるかというと
ミラクルが起きるようになっているしくみ。



そのミラクルって、、、
また今度( ̄▽ ̄)
早く知りたい人は
バシャールに聞いてちょうだい。
あ、バシャールって、宇宙人やしきをつけてな。





前者、後者のスペックに話を戻すと
本来、そのスペックで生きていけるのに
本来、そのスペックがごっつ魅力的なのに



経験や年齢、立場、性別、肩書き、職業、資格、
いろんなものを貼り付けて
わざわざ、わかりにくくするのです。
わざわざ。自分で。




なぜかというと、
自身のスペックに気づかず、(何故って自分にとっては当たり前すぎて)
違うスペックに対して、憧れて、欲しくて、さらにそれが「自分にはない」と
フォーカスを強めてしまう。


前者は突き抜けた能力が自分にないからと後者になりたがり努力する。
後者はマルチに出来ない自分をダメとして前者になりたがり努力をする。


これが心の奥の奥の奥の方にある「コンプレックス」の正体ではないかと思います。
さらに、バランスよく、という教育システムが追い打ちをかけるように、天然能力を塞ぎにかかるのです。
社会人になる頃には完全にロックされる。このロックが外れないと本当の自分に会いに行けない。

ダンスに置き換えると
前者のブラッシュアップの仕方と
後者のブラッシュアップの仕方は違う

あ、後者って
話の置き換えとか応用って
得意じゃない

あ、前者って
本質は同じ違う事
とか見抜ける

このコンプレックスの誕生や生活の「しおり」はまた別のシリーズで。

戻りまして


私の持っていないスペックは
あの人にある。



あの人にないスペックは
私にある。


優しい地球の仕組み



自分が自分を生きてこそ
周りも輝かせる事が出来る
自分を生きてさえいれば
勝手にほっといても
周りは輝く



お願いやから自分を生きてくださいな。
ってなる仕組みに地球はなっている。



みんな手を取り合って、とか
曖昧な事ではもう納得しない。


具体的にどーすんねん。
って気ずいてしまう時代に入ってしまった。


あるエリアへいくと突然その仕組みが分かるエリアが存在する。


うちではそんな発信も
ダンスを通じて
心を触りながら
していこうと思います。



あなたのためにわたしはいる。
わたしのためにあなたがいる。



自分が自分を生きるほうが
世界はまわる。








地球にフィットする。







前者後者トレーナー
地球のしくみ
































































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